Behind the 2020 Tokyo

2020 Tokyo同時進行小説&オリジナル小説・エッセー・コラムをブログとYouTubeで展開しています。

■コーヒータイム:時にはすかっとしたお話を・・・。「母は勝負師」

※創作短編習作


「母は勝負師(プロボウラー)」


この年は、世界的なオイルショックで、誰もが右往左往していた。中東情勢が不安定になり、原油価格が高騰したからである。各国では節電のため、夜になると街角の灯かりは姿を消していた。ガソリンスタンドは、平日のみの営業となる。灯油を手に入れるのも楽ではない。TVも夜の放送は自粛していた。石油の値上がりで、未曾有の不景気が台所まで押し寄せる。
スーパーでは、トイレットペーパーや洗剤の買いだめをしようと、長い行列ができる。あっという間に、店頭からは品物が姿を消していた。私の周りでは、不足した家庭用品を融通し合っていた。
 企業の就職に内定していた私には、無期限の待機通告が届いていた。早い話し、内定の話しは無かったということになる。先行き不透明な経済の見通しで、求人を控えた企業が続出していたのである。私の友人でも、その煽りを食った奴はかなりいる。
父が会社を辞めて以来、外に出ていた母は収入が不安定で、家計は風前の灯火となりつつあった。父の収入に期待出来ないとなれば、なおさらのことである。母は外に出ても、安定した収入ではなかった。ほとんどゼロに近いときもあった。だが、最低限の生活費だけは手にしていた。
 私から見ても、母は普通の職業とは思えなかった。母の仕事に口を出してはいけない。子供でもそういう気持ちが働いていた。だが、時折彼女は束になったお札を運んでくる。普通のOLの半年分はあっただろうか。そのお金で辛うじて最低の生活は確保できた。
 母はどういう仕事かは、子供には一切打ち明けてくれない。年に何度かは、豪華な景品を運んできた記憶がある。母は手ぶらの時のほうが多かった。それでも、ささやかな幸せ感は得る事はできた。
私と妹は、学校では親の職業欄には、いつも自由業と書いていた。子供には親が、どういう仕事なのかも分からない。そう書かざるを得なかったのである。
 父が会社をやめてから、土日になると、私は母によく付きあわされていた。府中の競馬場や都内のボウリング場では、母は生き生きとしていた。たしかに他の母親とは、ちょっと毛並みが違うらしい。一獲千金。背水の陣。宵越しの金は持たない。それは母の座右の銘でもある。子供でも親は放ってはおけない。そんな母が私は好きなのである。笑みがあっても、他人のような目で突き放す。 
 子供なんか放っておいても平気よ。親がしっかりし過ぎると、子はダメになる。こういう親のようには、なりたくないと思うでしょ。ハングリー。それが大事なのよ。などと本気で言う。学校の仲間にその事を聞かせたら、そんなの親じゃない、冗談じゃないよなぁ、俺はイヤだ、などと言われるのが関の山だ。そんな同級生の家族が羨ましくなる。
 母はいつも体を鍛えていた。日の出前には、仲間たちと、公園の周りをジョギングしては汗を流す。筋肉質で浅黒い肌は、父とは正反対である。なぜそこまでやる必要があるのか、などと母に言ったことがあるが。何言ってるの、健康のためよ、当たり前じゃないの、さぁ、明彦と敬子もどう、などと半ば強制的に、つき合わされる羽目になる。学校のことなどお構いなし。行事などには来たこともない。子供には身勝手な親だなと思われても、仕方がない。
母は出かける時には、いつも派手な化粧をし、大きなバッグを抱えていった。化粧の後には、地味な一重瞼が、突如宝塚スターの長いまつ毛になる。派手なアクションは、日常でも見慣れているから違和感はない。傍目からで見ると、水商売での稼ぎ頭とも思えなくもない。ほんとにそうなのかと、私には聞く勇気はなかった。私には母がミステリアスに見えていた。まったく、つかみ所がないのである。母の素顔はそれほど目立つ程ではない。女は変われば変わるものである。思春期の私でもゾクっとするような艶やかさである。中学生の子供でもそう感じていた。
私は高校に入ってから、夜は清掃会社でアルバイトを続けた。学費は何とかそれでまかなっていた。母の年間の稼ぎなどより多いときもあった。結果的に、私は母と共に家計を支えていた事になる。父と妹の面倒も見なければならない。    
 小学生の頃までは、父もまじめに商社の広報室で働いていたらしい。私が中学にはいって父は突如会社を辞めていた。それ以降、家族はいつも綱渡り生活である。
この時から父は、突如、自称作家を名乗りはじめた。私たちは唖然としていたが、それでも、母は相変わらず笑みを絶やさない。子供達に動揺をさせないためでもあったのだろう。と私は単純に想っていた。だが、そういう事ではなかったらしい。母には、父の放浪癖は、織り込み済みだったのである。
仕方がないわねぇ、じゃ、やってみようかしらねぇ、と母は何処かに出かけていた。父の原稿の収入など、少しも入ったためしがない。母には、どこからそういう自信が湧いてくるのか、私には母が理解できなかった。
親父に才能なんかあるの?、と母に聞くと、さあねぇ、あるんじゃないかしらねぇ、でも生きている間に、期待するのは酷なようね、などと母はいつも人ごとのように言う。
私は引き続き、清掃会社でアルバイトをしながら、再度就職口を探す事になった。依然として、父は取材と称して母に無心を繰り返していた。父は本当に取材で家を空けているのか、わかったものではない。勝手気ままな父でもあった。私の不信感は日に日に募るばかりである。
女の人でも出来たんじゃないの、と私は背伸びをして言わない事には、気が納まらなかったのである。そんな訳で、私の妹は大学の進学を諦めざるを得なくなった。内心、妹は母に対する敵対心が大きくなっていった。私はいつも彼女のなだめ役である。彼女はオイルショックの前に、仕方なく商社のOLになった。その後、妹は三年で会社を辞めることになる。大学への執着は捨てがたく、せっせとお金を貯めて国立の大学に入った。家庭教師や風俗のバイトなどに精を出し、力づくで卒業することになる。
 母は母で、暇を見つけては、トレーニングに余念が無い。母は結婚する前までは、父のいた会社に所属していたらしい。母はそこで父と知り合った。妹はそんな伝手で縁故採用となった。母の話しでは、父はその会長の子だという。
高齢の石原会長には本妻に三人の子がいた。男児はいない。内縁の聡子さんには四人の子供がいた。彼女は私の祖母にあたる。母の言うには、祖母は新潟美人で、献身的であったという。認知はされていない。。
父がビジネスマンには、向かない事を悟った会長は、愛想をつかし勘当したらしい。父が会社を辞めた時である。父は長男である。二男二女のうち、一番わがままで育っていたという。会長の後を継いだのは傍流の次男である。
たしかに何時も話題が豊富で、面白い父ではあった。彼の人を斜めからみる特異な眼は、浮世離れの性格に輪をかけてしまっている。だが父の背中には、生活感や経済感覚を感じることはなかった。庶民の慎ましい暮らしぶりなど目にも止めない。スーパーの野菜や肉がいくらとか、学費がいくらとか、生活費はどのくらいなのか、などという感覚ではないのだ。
私と妹はライオンの子供ではない。崖から突き落とされたら、這い上がる術もない。周りからは、あなたも大変よねぇ、大丈夫?などと言われてはいたが、心の中ではさぞ同情しているに違いなかった。大人は他人の不幸や災いを見ることで、人には決して言えない陶酔感が宿る。
父は困った時だけは、時折、母に救いを求めに来る。いまでは年に数えるほどしか家には帰ってこない。家族にとっては、父には存在感など無いに等しい。私は、父がいつもどうやって暮らしているの、という気配りどころではなくなっていた。私と妹が何とかやってこれたのは、いつも天心爛漫な母がいたからである。母は転んでも、決してただでは起きない怖さもあった。転ばされたら、転ばせたほうには、法外なリスクを負わせる。母の笑みが増えれば増えるほど、それに比例して威圧感も多くなっていた。
その母が、早朝のジョギング中に、アキレス腱を切ってしまう。全治六ヶ月ということだった。父からは相変わらず、なんの音沙汰もなかった。母はいいから、いいからと、父をかばっている。母はいつもそういう態度を取っていた。でも、どうして彼女が、父の肩を持つのか、私には理解できなかったのである。 
 母父と結婚する前の事は、謎の部分が多い。父もああいう性分だから、私は聞く機会を失っていた・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


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